2022年 九州教区 平和の祈り(社会奉仕部)
※この祈りは1983年8月5日にカナダで行われた世界教会協議会総会の中で守られた「平和と正義を求める徹夜祭」から一部取り上げました。
司式者:わたしは皆さんに平和の挨拶をおくります。
共に、神によって造られたいのちを尊び、守り、高めることにわたしたち自身が関わるために。
原子爆弾から出る、死をもたらす光は、1945年に人間の住む地の上に昇りました。広島と長崎の何十万という人々のいのちを滅ぼし、傷つけたのです。
それからも、私たちの世は、戦争が止むことはありませんでした。今なおウクライナで、ミャンマーで、世界のいたるところで、痛み苦しむ者の声が聞こえます。
何百万もの人が、銃弾によって、飢えによって、あるいは抑圧によって死に続けています。
何百万もの人が、平和と食べ物、正義と人間の尊厳、自由を求め続けています。
今、わたしたちは共に目を覚まし、死の力のゆえに犠牲となった人々をおぼえましょう。
わたしたちの共同体や国も、ときにはそのような力の一部となったこと、なっていることをおぼえましょう。
新しい世界を求める、わたしたちの願いを言い表しましょう。そして、新しい世界を築くために私たち自身を捧げましょう。
■平和を求める祈り
司式者 主よ、長年にわたる苦しみに
何千年にもわたる争いと虐殺に
わたしたちのこころは耐えられなくなっています
犠牲者は今も血を流し続けています
あなたに向かって、わたしたちは手を開いてさしのべます。
会衆 乾ききった地で、あなたを渇き望みます
司式者 主よ、
父のように私たちを愛し
母のようにわたしたちの世話をし
兄弟のようにわたしたちと同じ生き方をされた方。
あなたの前に告白します。
わたしたちは、あなたの子どもとして
兄弟姉妹として
愛に結ばれた者同士として生きることができませんでした。
あなたに向かって、わたしたちは手を開いてさしのべます。
会衆 乾ききった地で、あなたを渇き望みます。
司式者 わたしたちはいのちの賜物を浪費してきました。
わずかな者がよい生活を送るために
多くの者が苦しい生活を強いられています。
わずかな者が楽しみを得るために
何百万人もの人が苦痛を強いられています。
あなたに向かって、わたしたちは手を開いてさしのべます。
会衆 乾ききった地で、あなたを渇き望みます。
司式者 より多くのものを得ようとして
わたしたちは死をあがめてきました。
わたしたちの安全を求めて
わたしたちの生き残りを求めて
わたしたちの平和を求めて
死をあがめています。
それは、いのちが分けられるものであるかのように、
愛が分けられるものであるかのように、
キリストが死んだのはすべての人のためではないかのように
考えているからです。
あなたに向かって、わたしたちは手を開いてさしのべます。
会衆 乾ききった地で、あなたを渇き望みます。
司式者 主よ、
わたしたちがいのちを拒みながら、いのちを追い求めているのを
ゆるしてください。
あなたの子どもであるとはどういうことかを、
新たに理解することができますように。
あなたに向かって、わたしたちは手を開いてさしのべます。
会衆 乾ききった地で、あなたを渇き望みます。
■平和を求める告白
司式者 わたしは信じます
神は愛であり、この地をすべての人に与えられることを。
会衆 わたしは信じます、
イエス・キリストはわたしたちを癒し
あらゆる形の抑圧からわたしたちを解放するために来られたことを
司式者 わたしは信じます、
聖霊は真理を求める人々のうちに、その人々を通して働かれることを、
会衆 わたしは信じます
信仰の共同体はあらゆる人々に伝えるために召し出されたことを
司式者 わたしは信じます
神はわたしたちの罪の力を最終的に打ち破り
すべてのひとのために正義と平和の国をうちたててくださることを
■祝福
司式者 あらゆる人知を超える神の平和が
あなたがたの心と考えとを
神の愛とみ子イエス・キリストよって守られるように。
父と子と聖霊の神の祝福が
わたしたちと共に、
神の造られたすべてのものと共に
今も、いつまでもありますように。
会衆 アーメン